History of Kino

木野義治の歴史

木野の歴史

東京で生まれ、箱根駅伝に出場。岩手国体開催で北上市に移り住む。その後、
ミュンヘン五輪の代表候補になったものの最終選考で無念の欠場。
最後まで岩手を愛し、多くのレースで多くの仲間たちと走った木野義治の歴史。
※このコーナーは情報が入り次第更新していきます。

昭島市で10人兄弟の末っ子として誕生

皆に親しまれるガキ大将

1946年(昭和21年)東京都昭島市10人 兄弟の末 っ子として生まれる。毎日家の手伝いに明けくれていたものの近所の友達を集めては日々楽しく遊んでいた。

兄 光輝に・・・

専修大学で走りたいんだ

高校卒業後、義治は地方銀行で働き始めた。しかし、走りたい気持ちも日増しに強くなり、その時の専修大学駅伝部の主将兄光輝に思いをぶつけた。「専修で走りたいんだ!」そして、専修大学の門をたたいた。末っ子義治が兄光輝と再び同じ環境で成長していくこととなった。

45回大会(昭和44年)6区3位 46回大会(昭和45年)7区3位

箱根2日目の区間で活躍

大学3年で山下りの6区、4年に7区を走る。区間3位で総合第6位に大きく貢献した。

昭和45年岩手国体出場認められず

最後まで岩手県北上市で

岩手国体から優勝選手をと関係者で交渉するもジプシーランナーいわゆる渡り鳥選手であるという理由で岩手国体出場には至らなかった。
そんなことを気にもせず各地の大会で優勝。駅伝でもチームをけん引し歴史ある青森東京間駅伝の岩手県選手として実力と存在を認められていった。

【大会協賛】